私は新しいことに意外と興味があります。
ミーハーではないにしろ、それがいいからみんなの間で流行るのであって、その流行る理由は知りたいと思うのです。
特に都内であれば、新しいことはどんどん取り入れるのが良いとされている風潮があるかなと思います。東京はオリンピックに向けてどんどんと風情を変え、久々に行くと、「あれ、これは何があったところだったかしら?」と、思うことも少なくありません。
会社では合理化する、ムダを省くのが良いこととされていて、確かにそれは一理どころか、二理も三理もあることです。おそらく、生産性を求めるということであれば、それで正解です。
実は先日、「落語は古典も新作もあって面白い」という話になりました。きっと、落語は合理化されたら面白くない。生産性なんてことを考えたら、AIに落語をいっぱい聞かせて、それで新作を作って、なんてことが研究をされると思います。
しかし、おそらくAIに落語は無理でしょう。独特の間や、佇まいで笑わせる独自のフラというものの存在が、おそらくAIには読めないものだろうと思うからです。そして、創造し、それで人を和ませたり、笑わせたりすることはかなり難しいでしょう。
と、なると。
生産性だけを求めるという考えは、ただひとつの選択肢になります。それだけが賢いように思われるけれど、それだけで成功するわけではない。
もしかしたら、古いものも守り、新しいものも作っていく、それがバランスよくできることが、一番長く生きながらえる方法なのかもしれません。
私は東京の街にちょっと飽きています。そもそも、東京の街に「最先端」を求めたことは、ただの一度もないと思います。
私が高校生の頃、上京を夢見ていたときは、簡単に言えば「昭和」を求めていた気がします。東京は古いものが残っている街だから好きだったわけです。高校生の頃、たまに行く東京の中で渋谷は好きではありませんでした。なんだかボロボロで暗い路地のある下北沢に、私は通っていました。
上京した後は、とにかく新宿に入り浸って、それも駅周辺ではなく新宿二丁目や、ゴールデン街などの風情に親しみました。
誰が「新しさ」を東京に求めたのかわかりません。私の田舎の町は、小学生当時の姿を一切残していません。40年、50年も前の風情が残る東京は、なんともすごい場所だと思いました。
先日、糸井さんとジャパネットたかたの元社長高田明さんの対談を読みました。この記事を読んで、「そうか、私は人と違う東京を選択していたのだな」と、思います。
だから、人が新しさを東京に求めることは、別に悪いとはいいません。むしろ、東京の面白さを引き出すために、どんどん新しさを求めてほしいです。
しかし、一方で、守るべき古さを見極めることも忘れないでいてほしいなと思います。
Aという道に進んでも面白い、Bという道に進んでもこれまた乙だ。
そんな東京であってほしいと思います。
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