かなりご無沙汰になってしまいました。
ちょっと当たるように書いたブログで最後になっていて、ちょっと恥ずかしくもあり。笑
さて、実はこれまで制作を休止し、保育士試験を受験していました。
5月頃に思い立って、約5ヶ月ほどの猛勉強。(それは言い過ぎか……)
まだ結果は出ていませんが、どうやら1科目以外は全て合格できたようです。
本当は一発合格がよかったのですが、子育てもしながらの受験はかなり大変で。
これでも上出来かなと思っています。(また半年後に再チャレンジです)
なぜ、保育士試験を受けているのか。
例えばワークショップなどの事業を拡大したいと考えたときに、とても“使える資格“だからです。
保育士になりたいわけではありません。
でも保育士って、いろんな資格の代わりになったり、別の資格を取得するための足掛かりになったり。
とにかくすごい有用な資格なのです。
実は保育士試験はこれが2回目。
以前受けたのは約10年ほど前なので、正直ほとんど内容は覚えていません。
しかも、保育士の資格制度は著しい変化を遂げています。
以前は1年に1回しか受験できなかったものが2回受験できるようになり、国家資格になり、受験料も安くなり……
内容に関しても、今は虐待、発達障害、児童ポルノ、子どもの人権など、世相を反映したようなものばかり。
昔は歴史とか、とにかく詰め込み!という感じでしたが、今はケースワーク的な問題が多くなっています。
保育士試験を受験してみて思ったのは、
保育士試験で学ぶことって、子育ての不安解消にも役立つだろうなということ。
モンテッソーリ教育が最善なのだーーー!
という風潮を感じていましたが、ぶっちゃけ教育理論も発達理論もこれまでの歴史の中でたくさん誕生しています。
で、日本の教育はその歴史を鑑みるに、結構偏っている。
もっといえば「軍国的」「全体的」だったのだなと実感します。
子どもの主体性を育てる必要性は、明治大正時代の教育者も理解していました。
昭和や平成前半の日本の教育制度も見ているとそんなことは微塵も感じないので、モンテッソーリとか新しい!と、思ってしまいそうなのですが、実はもっと前の戦前からそういう風潮はあったんですね。
こんなことを学んでいると、「今、この教育方法がいい!」みたいなふれ込みには一層の不信感を抱くようになります。笑
一つのメソッドだけがいいなんてありえない。
歴史に学び、広い視野を持つことによってこそ物事を見極められるのだなと、改めて実感しました。
子育てしていると、目の前のチラシに不安を煽られてしまうことが多い。
だからこそ、そんな時に自分を支えるのは人文知なのだなと思うのです。
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